ハーレーダビットソンの歴史

投稿日:2014-11-04

ハーレーダビットソンは、洗練された外観で1900年代からライダーを魅了しつづけているアメリカ製のバイクです。近年では、ハーレーを乗りこなす女性ライダーも現れ、男女問わず人気を博しています。今回は、ハーレーダビットソンの歴史についてご紹介します。

バイクの代名詞「ハーレーダビットソン」の誕生

世界を代表するオートバイメーカーのハーレーダビッドソン社は、1903年にミシガン湖に程近い中東部の都市ウィスコンシン州ミルウォーキーで産声を上げました。
同市内に住むウィリアム・シルヴェスター・ハーレー(当時21歳)、アーサー・ダビットソン(当時20歳)、その兄のウォルター・ダビッドソンらは、ダビッドソン兄弟の父親が建てた小さな工場で、当時流行していた自転車用エンジンを開発していました。
ウィリアム・シルヴェスター・ハーレーが設計を担当し、アーサー・ダビッドソンが鋳型を作り、ウォルター・ダビッドソンが組立を行い、自転車のフレームに4馬力の単気筒エンジンを抱え込ませた記念すべき第1号を完成させました。
その後、ダビッドソン家の長男、ウイリアム・ダビッドソンが加わり、本格的な会社組織がスタート。ダビットソン兄弟は、社名にエンジンを設計したハーレーの苗字を先に置くことを提案し、次に自分たちの苗字を続けて「ハーレーダビットソン」と名付けました。

木造の小屋から始まったハーレーダビットソンは、急成長を遂げ、翌年には従業員18名、221㎡という広い工場を持つまでになりました。
最初はシングルエンジンのみを製造していましたが、ウィリアム・シルヴェスター・ハーレーは、ライバル社に触発されて1907年にVツインエンジンを完成させます。2年後には、それを改良した5Dエンジン(排気量810cc7.2馬力)を完成させ、量産体制を整えました。また、ベルドドライブ駆動を導入するなど、当時から現代に通ずるハーレーの原型が出来上がっていたと言えます。
1906年は50台程度だった年間生産台数が、一気に170台へ増加。次第にラインナップも増え、さらなる発展を遂げていきます。

激動の時代を走り抜く

1913年に日本への輸出を開始。
ハーレーダビットソンは、1919年にハーレー初のSVフラットヘッド車「横置きフラットツインV型」を開発し、その10年後には、排気量750cc、サイドバルブ駆動のフラットヘッドエンジンを開発。このエンジンは1974年まで採用される息の長いモデルとなりました。
1929年に起こった世界恐慌により、アメリカの市場は大打撃を受け、ゼネラルモーターズの株価は80セントも下落し、数多く存在したバイクメーカーは軒並み倒産。ハーレーはなんとか存続できたものの、その影響を受けて販売台数を大幅に減少せざるを得ませんでした。

その後も第二次世界大戦の勃発など受難の時代が続いたものの、終戦後の1948年に新型のVツインエンジン「パンヘッド」を開発。これにより、一時低迷していたハーレーの人気が一気に高まりました。
1952年には、トライアンフやノートンなどイギリスからの輸入車に対抗するため、現在のスポーツスターファミリーの前身となる「Kモデル」を発表。1957年には、現在も高い人気を誇るスポーツスター「XL」を発表し、イギリス勢を迎え撃ちました。

AMF時代~現代

1960年代に入るとアメリカ経済に暗雲が立ち込め始め、順調に思えたハーレーの経営にも影響を及ぼします。キューバ危機やケネディ大統領の暗殺、ベトナム戦争の長期化などが経済停滞を招き、ハーレーダビッドソン社も1969年に株式を公開し、存続をかけて大手機械メーカーAMF(アメリカンマシンファンダリー社)の傘下に入りました。
これにより社名を「AMFハーレーダビッドソン」と改め、車輌のロゴにもAMFの文字が加えられようになりました。
1977年には、ハーレー初のカフェレーサーモデルXLCRを、1980年には最初のベルトドライブ装着モデル「スタージス」を発表するなど新製品の開発に余念がありませんでした。しかし、AMFのハーレーに対する意欲が次第に低下し、結果として品質低下を招き、ハーレーの人気が低迷しはじめたのです。
それに危機感を抱いたハーレーの役員13人がAMFから株を買い戻し、1981年に再び独立の道を選びました。
AMF時代に失った人気を取り戻すべく、1990年にスタージスとファットボーイを、そして翌年にはダイナデイトナと、現代に受け継がれる名モデルを矢継ぎ早に登場させます。
2003年に100周年を迎えたハーレーは、初の水冷DOHC4バルブエンジン「レボリューション」を搭載したモデル「V-ROD」を発表。さらに100周年記念のロゴが飾られたモデルを多数販売し、メモリアルイヤーに華を添えました。

ハーレーの日本への上陸について

日本へは1912年に、日本陸軍が初めて輸入を行ない、後にサイドカーを中心として軍用車両として用いられました。一時期日本においては「陸王」の名でサイドバルブエンジン搭載の車両がライセンス生産・販売されたこともありましたが、製造メーカーが倒産した後は、再び代理店による輸入販売のみとなり、現在は、1989年に日本法人のハーレーダビッドソンジャパンが設立され、正規販売を行なっています。

以上、ハーレーダビットソンの歴史についてご紹介しました。現在も世界中で愛されるバイクだけあって、紆余曲折ありながらも、バイクメーカーとして着々と地位を築きあげてきたのが分かりますね。

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