今更だけどハーレーのAMF時代ってなんのこと?

ハーレーの旧車に興味を持つと、歴史を調べたりしますよね?すると必ず出くわすのが「AMF」という言葉。
ご存知の方にとっては今さらでしょうが、今回はAMFを知らない方に簡単に説明していきます。
AMF時代とはハーレーが大手機械メーカーAMFの傘下だった期間!
ハーレーダビッドソン社の創業は1903年。ミシガン湖にほど近いアメリカ中東部の都市、ウィスコンシン州ミルウォーキーで産声を上げました。以降、フラットヘッド→ナックルヘッド→パンヘッド→ショベルヘッドと、Vツインエンジンをアップデートして性能と信頼性を向上させることで、第二次世界大戦後も生き抜いてきました。
ところが1960年代に入るとアメリカ経済に暗雲が立ち込めます。特に大打撃を与えたのは、ベトナム戦争の長期化。これが長期間にわたる経済停滞を招きました。そしてハーレーダビッドソンは1969年に株式を公開し、大手機械メーカーAMF(アメリカンマシンファンダリー社)の傘下に入ったのです。
これにより社名を「AMFハーレーダビッドソン」と改め、車輌のロゴにもAMFの文字が加えられるようになりました。
AMF時代は駄作が多いと言われるが…
AMFが何をしようとしたか…それは合理化だと言われています。“コストダウンを図ることで利益を増やす”経営者としては正しい判断ではあるのですが、それが品質低下を招いた、というのがハーレー好きの間では定説になっています。
AMF時代は1969年から1984年まで続いたわけですが、その間、ハーレー初のカフェレーサーである「XLCR」をはじめ、メーカー製カスタムの走りといえる「FXS ローライダー」といった名車が生産されています。
これ以外にも、2ストロークエンジンを搭載したモトクロッサーを開発していたりと、それまでとはまた違った挑戦を行っていたのも事実。ただ、残念ながら生産工程の管理が甘かったようです。
AMF時代の製品も今となっては味でしかない!
賛否両論ありますが、筆者としてはAMF時代のハーレーも今となっては味でしかなく、所有者は大切に乗り続けて欲しいと思います。